扇日記

着物好きの日記です。

音楽の始まりは合図、美術の始まりは伝達?

私にとって美術とは〇〇である。と一言で言えますでしょうか。

 

私の短大の時の先生は美術とは「あそび」。と仰っておいででした。遊びの域を超えてはならない。神話や哲学、社会に対する問題提議を盛り込みすぎないように。固く考えないように。楽しく向き合うのが一番よいと。

f:id:yukinosita-tamasudare:20210415224654j:image

ダリの『ポルト・リガトの聖母』の絵を観ながら言ってたな。この絵は世界に2点あり(ちょっと構図が違うけど)、一つは福岡市美術館が持ってますね。

ダリは日本に原爆が落ちされたことに影響され、原子核やら化学やらに興味を持ち出し勉強したと聞いています。私が生まれた年にはまだご存命だったはずなんだけど。最近の画家です。この絵を描いたころは宗教へ傾倒していて、先生はこんな風になったら面白くないと批判的でした。

画家はだいたい晩年になるほど良くないと聞いたことがありますな。

 

私にとって美術とはなんだろう。

他の人はリラックスできる場所とか、日常にある色とか言ってたな。これは次回への宿題と言うことにして(笑)

 

みんなの美術があるとして、そもそも美術のはじまりってどんなふうだったのか。

 

それはラスコー洞窟壁画にある、と言われています。

f:id:yukinosita-tamasudare:20210416063737j:image

http://blog.livedoor.jp/huukei44/archives/51929688.html     (こちらからお借りしました。)

 

 

クロマニョン人が描いたとされるが、謎が多いフランスの壁画。誰が何のために描いたのか。まだ芸術活動というより記録画のように思えますね。

 

たぶん大勢の人に何かを伝えたかったのではないかなーーと考える。記録して伝えようとしたか、未来の自分自身が覚えておくために残した。すると美術のはじまりは「伝達」だったのではないか。単純ですがそう考えました。

 

音楽のはじまりは「合図」だそうです。音楽の先生から聞きました。例えば高校の時の掃除時間の音楽覚えていらっしゃるでしょうか。ある高校は、定期的に音楽を変える。しかもJ POP。こっちの高校は20年も同じ音楽で掃除をしている。どちらにも意味があり良さがあるけど、同じ音楽を流すことによって、この音色が聞こえたら掃除だ、と自然と活動に取り掛かれるようになることは理想的ではあると。

昔は決まった時間帯に決まった行為や行動をしたい場合に音が使われたそうです。この音が鳴ったらこの行動をしようと自然に体に馴染んでくる。これが合図であり音楽のはじめ。

 

音楽の合図、美術の伝達、その心はつまりはコミュニケーションじゃん…。人に対して何かを促していたり、人の行動に何か投げかけようとしていますよね。聴覚のコミュニケーションと視覚のコミュニケーション。人が社会を形成するにあたって必要不可欠だったのですね。

 

今は国によっては社会が成熟し、美術も音楽もすっかり役割が変わったし、その価値も多様化されている。どちらかと言うと娯楽、暇つぶし、金持ちの贅沢品。と言われがち。社会には必ずしもいるもんじゃないじゃんと。

 

ではこの成熟した社会でなぜ美術をわざわざ学校で習うのか。技術の鍛錬だけではそれこそ無用の長物になりうる。

 

それはまぁやっぱり「いろんな価値観を認める練習。」なのではないでしょうかね。あとは「知らない自分に気づく時間。」とか?音楽はよくわからんが美術は自分と向き合う時間が多い気がします。向き合わざるおえない。自分ってこんなこと考えてるんだ、こんな風に思うんだ。これが嫌いでこれが好き。とかね。今は不機嫌だ、今日はなんか落ち込む、あーわたしはこの色好きだ。〇〇を思い出す。と自分との対話の中で表れてくるものを具現化する。思考を具現化するってとても気持ちの良い行為と思いますけどね。

 

いろんな価値観っていうのは、自分はこう考えるけどあの人はこうなんだ。人によって価値あるものは違うんだってこと。それを尊重しようとする姿勢が美術の授業では身につくかもしれない。

 

違う考えを批判しがちな日本人。少数派を排除しようとする民族らしいですよ、日本人って。日本昔話でもよく見られるのですって。

 

私が美術やってなかったら、自分と全く違う考えは許さないものもあったと思う。でもこの考えは私はしないけど、こういう考え方をしないと見えない景色もあるなといくらかは尊敬できるようになった。

年のせいかもしれないけど。美術の作家たちの作品みたり、作家の人生や時代背景を知っていくとほんと様々な考え方生き方があって良い意味でどーでも良くなるんですよね。

 

あまりにも非人道的な考えは肯定しかねますが、美術の中では何をどう表現しても許されるみたいです。

 

そこが美術の「魅力」の一つと思いました。

 

 

なんか拙い文章ですみません。ほかにもきっと違うご意見があると思います。