樹木希林さんの遺作となった映画『日日是好日』。
その原作作者、森下典子さんが映画の公開に合わせて執筆したという、ご自身のお茶のお稽古の記録、それが『好日日記』です。
茶道はもちろん花道、香道、書道、武道といった道を極めんとする人であればご覧になられた方も多いのでは。
私は最初に『日日是好日』に出会いました。映画はまだ見れておりませんでしたので、この土日を使って観ようっと♪
妹に「今のあんたに似とるよ。」と紹介されて読んだ本です。その時は『日日是好日』の意味もわからなかった。
この本では茶道のお稽古と向き合う主人公(森下さん)が描かれていますが、20歳で茶道を始めた主人公は、はじめ頭で覚えようとしないこと、と先生に教わります。
何度も何度もやって、季節が変われば違うことやって、何も身についてないんじゃないか、この動作に意味なんてあるのかなと疑問に思ってきた矢先にある日突然体のほうが勝手に動いていく不思議に出会い、成長に感動します。
私もその境地を真似してみようと思いました。
覚えようとせず、川の流れに身を委ねるような感覚を意識しました。
が、しかし、
全体の大きな流れをつかむことはできるかもしれないが、やはりお道具と接している自分の身体に意識を向けないと、部分的な動作は覚えられないなー。お点前の所作は一つ一つの動作が連結してできているのですが、動作の順番はたしかに、間違えて間違えて、間違いつくしてある日どうだったっけって頭の中を探っている途中に、手や腕が先に教えてくれることもありました。
しかしどうしても方向を間違うとか、位置がわからなくなったりするという時には頭を使いますね。頭を使って覚えた時はたしかに強制的な感じがします。
なにかのシナリオに無理やり手を加えているようなそんな感覚。それはどうしても覚えられない、何度も間違うところに使うとっておきの魔法のようなもので、そう何度も使えない技のようにも感じます。
あとはたしかに波に打ち上げられる砂のような心持でお道具を触ってる。季節が変われば全て忘れる。まだまだその段階です。
なので、『日日是好日』のように頭で覚えようとしない、というのは全部は無理でした。身を任せつつ頭を使い、許したようで抵抗したりを繰り返しています。我ながら修行してますね~。
『日日是好日』は森下さんの茶道を始めてから今日までのエッセイ。『好日日記』は今の森下さんの1年を通したお茶のお稽古の記録。って感じかな。
どちらの本にも茶道を通した女の人生が描かれてあります。読んでいてお茶が細胞に染み入る時と似ている文章だと感じました。
最近思うのは、私は普段は天邪鬼だったりするのですが、茶道のお稽古中はそんな意地悪な自分がでてこないなと不思議に思うのです。圧倒的非日常空間で出てきようがないのでしょう。
何か意に介さぬことを指摘され、恥ずかしくなって逆に当てずっぽうなことを言ったり、かっこつけたくて頑張ったことを何もなかったかのようにしてすまし顔。失敗しても素直に向き合うことをせず、何か捻じ曲げて笑いに変えたり。
お稽古している時は何か普段の日常とは違う世界で生きることができます。違う自分になるというより違う自分に出会うという感じかな。お稽古が終われば、止まっていたぐしゃぐしゃと考えていた現実の続きを生きることになるのですが。
『好日日記』に似たような心境が描かれていました。森下さんはもっと先にある境地も感じておられるようでした。
自分でもてこずっていた自分の反省点は、調節できる。最近新しく感じた境地です。