山口県岩国市の錦帯橋の近くに吉川家一族が眠っておられます。
岩国城の麓は吉川公園となっていて、
この吉川公園の中にある吉川茶室で月1回お茶会が催されています。
今日はその茶室の反対方向の方へ。
吉川公園の隣、江戸時代からあったいくつかの寺院跡地を公園化したところを紅葉谷公園と呼んでいます。
名前通り紅葉が有名ですが、まだまだ緑でした。
現在「永興寺」「洞泉寺」の2つの寺が残っており、
永興寺の庭園は平成11(1999)年に岩国市の名勝に指定されています。洞泉寺の境内には樹齢300年以上と言われる枝垂れ梅「臥竜の梅」があります。
お墓ですので写真を撮るのは控えましたが、看板を見てみると「誰が袖手水鉢」と書いてありました。
お、山口市の露山堂のところにあったやつと一緒じゃん。と思って見に行きました。
山口市観光情報サイト 「西の京 やまぐち」 観光スポット情報|香山公園|
寺院の中にもお墓が並んでいましたが、
寺院の裏の山に、初代藩主吉川広家とお姫様たちが並んで眠っておられます。
この切り株大きいいいい。
裏手に回るとひぐらしの道と名付けられた山道が。
写真は撮りませんでしたがお墓がずらっと並んでいて綺麗に掃除されています。
あったあった。
なんこれ。
今風じゃん。
誰が袖手水鉢も発見。
こちらにも書きましたが、この手水鉢は、京都の小堀家から岩国の吉川家に贈られ、その後毛利敬親に献上されました。
おおーーーーそれがこれかーーーーー★★★
ちょっと汚れてますけど、ルーツが書いてありますね。ここにある方がコピー(写し)みたいですね。
なぜ、毛利のお殿様(山口市)の公園に吉川家がプレゼントしたものが残っているのかというと…。
親戚だからです。
それはそうとみみずくの手水鉢は衝撃的でしたね。みみずくには見えないんだけど。
もう9月が終わってしまう。
紅葉🍁が色づきましたらまた行ってみましょう。
手水鉢(ちょうずばち)とは
そもそも手水鉢っていうのは口や手を洗う目的の容器です。
寺院とか神聖な場所に設置されたそうです。
身を清めるための水を確保するための器。
その後、茶の湯にも取り入れられ、露地の中に置かれるようになり、蹲踞(つくばい)と形を変えていったようです。