安楽死を願うALS患者女性に薬物を投薬することにより殺害したとして、委託殺人の容疑で医師二人が逮捕されたという事件が最近ありましたが、この事件についてSNSで軽はずみに言及している記事がありました。
この記事を投稿した人はSNSを使ってビジネスをされていて、それなりに顔も広いし影響力のある方です。私もSNSを通じて商品を購入したこともあるし、この方の主催したイベントにも参加したことがあります。
友人ではなく、SNSでイベントを知って参加して、引き続きSNS上で繋がっている関係性です。
SNSで好きかって言うようになるから真剣に議論する場と時間を作った方がいい
この方の意見は安楽死を認めてほしい、安楽死に賛成であるということのようです。
それならそれで、それだけを綴ればよいのでは。ちょっと例えが飛躍しているなと思える表現もあったので、びっくりはしましたね。
その意見に賛同するコメントがずらっとあってそれを見てゾッとしました。
人が大変な病気の果てに選んだ決断と、犯人の医師二人もまたそこに至るまでの経緯があるわけで、その結果命は消えてしまったのですが、そのことに対して安直にコメントしているように思えました。
みんな安楽死できる社会を望んでいるのか
自分が寝たきりになって人の世話になるしかなくて、痛みもずっとあり、辛いだけの人生が今後続くとなると分かった時に、死ぬことも選択肢にあるなら確かに気が楽でしょう。
私は子宮内膜症により大変痛い生理痛を体感しました。痛いし苦しい。早く終わらせたいと思いましたよ。もしその痛みが永遠に続くと知ったら。痛みというのは厄介です。痛みさえなければ。痛みから解放される方法があったなら、病気は根治しなくても人生を続けてみようと思えるのかもしれません。
消極的安楽死がある
ベルギーとオランダでは未成年の安楽死も認めているらしいです。
日本でも消極的安楽死というものはできるじゃないですか。日本の法律では、患者本人の明確な意思表示に基づく消極的安楽死(=消極的自殺)は、刑法199条の殺人罪、刑法202条の殺人幇助罪・承諾殺人罪にはならず、完全に本人の自由意思で決定・実施できる。ただし、法律により強制隔離と強制治療が義務付けられている感染症は例外であるとされています。要求に応じ、治療をしないか治療開始後に中止することにより、結果として死に至らせることはしているようです。なんかドラマで観たな。
今回の事件は、患者の親族も知らなかったし、患者のことを全然知らない他人が及んだ行為ですから殺人罪適用で然るべきかと。
死が選択肢に入っている社会。それを多くの人が望んでいる社会。私は社会の方を変えた方が良いと思いますがね。法律を変えるよりも生きてもよいのだと思える社会に変えて、安心して入院したいものです。痛みと肉体的な苦しみの持続が嫌ですが。日本だって自宅で最後が迎えるように配慮してくれたり、痛みはほとんど調整できると聞きます。
それに安楽死が本当に「安楽」だとは思えません。海外の事例ですが、決行するのは本人で一人で毒を飲んだり、点滴を自分で捜査したり医師は関与しないそうですね。なんとも心細い。他人にやってもらうわけではなく、自分で命を終わらせるのです。安楽死が医師の仕事になったら医師にとって多大な負担だからでしょう。死ぬことは個人の権利だ。安楽死を認めてほしいと言ってもそんなに積極的に安楽死を提供したくはないと思いますよ。迷惑といえば迷惑です。
(安楽死が許されたら日本中のほとんどの人が選びそうだし、もう大変だ。)
安楽死によく似た「持続的深い鎮静」という医療行為がある
死期が近づいた患者に対し、耐え難い痛みがあるときにだけする医療行為があるそうです。これが実施されると患者は昏睡状態になり精神が先に死にます。あとは肉体の死を待つというもの。終末期医療の緩和ケアの世界です。本人だけでなく、家族の同意も必要です。緩和医療として家族は、「耐え難い痛みや苦しみから解放してあげたい」という思いで同意するのでしょうが実際に昏睡状態になってしまうと今までの治療は中止し、肉体の死を迎えるので、「自分たちが殺してしまった」と後悔し、苦しみ、精神障害を起こすこともあるそうです。また関わる看護師も疲弊し、トラウマとなることが多いようです。
命を終わらせたい理由は様々あるでしょう。それと同時に人の命を終わらせる行為に関わる他人の気持ちもあるのです。この話は一筋縄ではいかない。どうあってもいろんな人にいろんな思いを抱かせる。すっきりとした潔い死とは程遠い。
SNSでは誰がどんな境遇で見ているかわからないのに、安楽死についてこんな短文で言及するのは理解しがたいと思いました。フォロワーから賛成って言ってもらえていい気分なのでしょうか。多分反対されるとは思わないのでしょうし、悲しんだり思い悩んだりする人がいるかもしれないとは考えないのでしょう。
女もこの年になると誰と付き合うか直感に従って見極めていけるようになる
考えが違う相手はいい勉強になるが違和感を感じる相手と繋がってる暇はないのです。私はこの人をフォローするのをやめました。